何者でもない私が、何者でもないまま会社をつくった話

こんにちは アンドナの野村です。
先日、美容師さんとおしゃべりをしていたときのこと。
「私、昔からよく道を聞かれるんですよね」 という話になりました。
最近は車で移動することがほとんどなのでめっきり減りましたが、昔は本当によく聞かれました。
大阪の街中だけではありません。
初めて行った土地でも聞かれるし、旅行先でも聞かれる。
時には、外国で聞かれたこともありました。
「いや、私もわからへん……」 と心の中でツッコミを入れつつ、一緒に地図をのぞき込んだりしていました。
すると美容師さんが、 「道をよく聞かれる人って、営業とか接客に向いているらしいですよ」 と教えてくれました。
へえー。そんないいところでもあるのか。
私はてっきり、「ぼーっとしていて、ものすごく普通の人に見えるからでは?」と思っていました。
「私にはこれがあります」と言える人への憧れ
考えてみれば、私は昔から「これ!」という特徴がありません。
勉強も普通。運動も普通。ものすごく社交的なわけでもないけれど、かといって、ものすごくおとなしいわけでもない。
学生時代も、先生の記憶に強く残るようなタイプではありませんでした。
もし今、昔の先生にバッタリ会って、「先生、野村です!」 と挨拶したら、「……誰やったかな?」となっている自信があります(笑)
それくらい、私は「普通」でした。
そんな自分が、昔はあまり好きになれませんでした。
絵がとても上手な人。スポーツができる人。頭のいい人。人を惹きつける人。面白い人。
一つのことに夢中になって、とんでもないところまで突き抜けてしまう人。
そういう人を見ると、「いいなあ」と思っていました。
「私にはこれがあります」と胸を張って言えるものを持っている人が、純粋に羨ましかったんです。
そしてこれは、今もあまり変わっていません。
才能のある人や、強烈な個性のある人に出会うと、うらやましく憧れの気持ちになります。
もしかすると「平均」では日本一かもしれない
でも最近、ふと思ったのです。
もし日本人全員のいろいろな要素を調べて、勉強、運動、性格、社交性、行動力、器用さ……全部の平均を取って、「ザ・平均的日本人」という人をつくったとしたら。
私、かなりいい線いくんじゃないかと思うんです。
もしかすると、「平均への近さ」では日本一かもしれない!
ようやく見つけた。私の一番。それは「平均」
……全然、自慢できないですね。
でも、見知らぬ土地どころか外国でまで道を聞かれていたことを思い返すと、あながち間違っていない気もします。
「この人なら、声をかけても大丈夫そう」 と思ってもらえる、絶妙な“普通感”が私にはあるのでしょう。
特技がない人が、会社をつくりました
普通、会社をつくった人の話を聞くと、「昔から○○が得意でした」「自分のこの経験を活かして起業しました」 というエピソードがよくありますよね。
「社長」というと、人を引っ張るキラキラとしたイメージです。
私には、それがありません。
これという特技もなければ、「この道を20年間極めてきました」という専門性もない。
なのに、会社をつくってしまいました。
それが、アンドナという会社です。
そしてこの会社も、一言で説明するのがなかなか難しいんです。
- 福祉施設の広報のお手伝いをしたり。
- 企業と福祉をつないだり。
- 学校へボッチャを届けたり。
- 障がいのある人たちのアートを社会につないだり。
- 企業研修をしたり、行政の人と地域のことを一緒に考えたり。
「結局、何屋さんなんですか?」 と聞かれると、ちょっと困ってしまいます。
つくった本人も何者でもなければ、会社も何屋さんなのかいまひとつわからないのです。
何者でもないから、できることもある
私は、自分にすごい才能がない代わりに、「才能のある人を見つけること」が好きなんです。
アーティストには、すでにその人の表現がある。
ボッチャの選手には、すでにその人たちの力がある。
福祉の現場にも、企業にも、学校にも、それぞれに持っているものがある。
私はその間をウロウロしながら、
「これとこれ、くっつけたら面白いことが起こりそう」と考える。
何か新しいものをゼロからつくるというより、すでにあるもの同士をつないで、新しい価値をつくる。
気がつけば、それが私の仕事になっていました。
福祉の現場の人の話も、少し分かる。企業の人の話も、少し分かる。学校のことも、行政のことも、少し分かる。でも、どこの専門家でもない。
だからこそ、「それ、普通の人にはちょっと分からないかもしれません」と正直に言えたり、「あっちの人は、こういうところを大切にしているんですよ」と翻訳して伝えたりできる。
何者でもないから、いろんなところを自由にウロウロできる。
昔は「私って中途半端やなぁ」「何も持ってないなぁ」と落ち込んだりもしましたが、中途半端も、使いようによっては悪くないのかもしれません。
でも、一つだけ。
アンドナがやろうとしている未来については、私はあまり平均的だとは思っていません。
普通の私が、ちょっと先のことをやっている
アンドナでは、「障がいのある人を社会が支援する」ということだけを考えているわけではありません。
障がいのある人や福祉の中にあるものが、社会の役に立つこともある。
学校の学びにつながることもあるし、企業の課題を解決することもある。
地域をもっと面白くすることだってある。
福祉と社会を“分ける”のではなく、
一緒になって混ざり合ったら、もっと面白い社会になるんじゃないか。
私は本気でそう思っています。
ただ、こうした考え方は、まだ社会の中で「当たり前」になっているわけではないとも感じています。
「福祉は支援するもの」「障がいのある人は支援される側」という考え方は、まだまだ根強いのが現実です。
もしかするとアンドナは、ちょっと先のことをやっているのかもしれません。
「何者でもない人生」も、案外悪くない
私は今でも、才能のある人に憧れています。
できることなら、一つくらい「野村さん、これだけはすごいですね!」と言われるものが欲しかった。
でも、振り返ってみると、何者にも振り切れなかった「普通」の私だからこそ、今の仕事にたどり着いたのだと思うようになりました。
自分の特技を活かして会社をつくったわけではありません。
むしろ、活かせるほどの特技がなかったからこそ、自分でも役に立てる仕事をつくっていった。そんな感じです。
だから、もし今、「自分には特別なものがない」と悩んでいる人がいたら。
無理に「自分だけの強み」を探さなくてもいいのかもしれません。
何者かにならなくても、人生は結構なんとかなります。
何者でもないからこそ、できることだってあるみたいです。
少なくとも私は、何者でもないまま会社をつくって、何者でもないまま、今日も色々な人を巻き込んで楽しく仕事をしています。
そしていつか、「日本一平均的な人選手権」が開催されたら。
その時だけは、ちょっと本気を出そうと思います。目指せ、日本一!


