
ボランティア活動をしていると、いろいろな関わり方をしている方に出会います。
毎週のように参加される方。
月に何度か参加する方。
イベントのときだけのボランティア。
一度参加して、それきりの方。
長く続けている方を見ると、心から「すごいな」と思います。
一方で、最近ボランティアについて改めて考える中で、ふとこんな疑問も浮かびました。
「ボランティアは、長く続けることだけが正解なのだろうか?」
私は今、保護猫の預かりボランティアをしています。
その活動を通して、一人のボランティアの立場として感じるのは、ボランティアには「自由に関われる良さ」と、「活動を止められない現実」の両方があるということです。
ボランティアは生活の「余白」でいい
「できる人が、できるときに、できることをする」 私は、ボランティアは生活の「余白」での関わりでいいと思っています。
仕事や家事、子育て、介護。人にはそれぞれ、自分の大切な日々の生活があります。
その中で、「今なら少し時間があるから手伝おう」「この活動に興味があるから参加してみよう」「自分にもできることがありそうだからやってみよう」そんなふうに、ふとできた余白の時間や気持ちから関わる。
それで十分なのではないでしょうか。
むしろ、「一度始めたのだから、ずっと続けなきゃ」「毎週参加できないなら、ボランティアとは言えない」と気負ってしまったら、途端に参加するハードルが高くなってしまいます。
ボランティアだからこそ、できる人が、できるときに、できることをする。 その自由さは、とても大切だと思っています。
「続かない」ことは、悪いことなのか
保護猫活動でも、関わり方は本当にさまざまです。 長く活動を続けている方もいれば、譲渡会のときだけお手伝いをする方、猫を一時的に預かる方、物資をご寄付くださる方もいます。
そして、一度参加したあと、しばらく来なくなる方もいらっしゃいます。
以前の私なら、「せっかく始めたのに、続かないのはもったいないな」と思っていたかもしれません。
でも今は、少し違います。
その人が関われるときに関わって、その時間が誰か(あるいは動物たち)の役に立ったのであれば、それだけでも十分な意味があると思うのです。
生活の状況は変わります。
仕事が忙しくなることもあれば、ご家族の事情が変わることもある。
興味が別のことへ向くことだって、ごく自然なことです。
ボランティアをお休みしたり、やめたりすることまで「無責任」としてしまうと、社会と気軽に接する入り口を、自ら狭くしてしまう気がします。
離れてもいい。
また余裕ができたときに戻ってきてもいい。
別の場所で違う活動を始めてもいい。
ボランティアには、そのくらいの自由さがあってもいいと思っています。
命の現場は365日。待ったなしの現実
一方で、保護猫活動に参加していると、もう一つの現実にも直面します。
人は、「今日は忙しいから行けない」と言うことができます。
でも、猫たちはそうはいきません。 ごはんも必要だし、トイレの掃除も必要です。体調が悪ければ病院に連れて行かなければなりません。
譲渡会がない日も、年末年始も、猫たちの命と暮らしは毎日続いています。
つまり、「ボランティアは自由に参加できても、活動そのものには続ける責任がある」ここが、とても難しく、ジレンマを感じるところです。
そしてこれは、保護猫活動だけに限らないはずです。
福祉でも、地域活動でも、子どもの支援でも、誰かの暮らしや命に関わる活動には、「今日は人手が足りていないからお休み」というわけにはいかない部分が必ずあります。
「誰かの善意」だけに背負わせない仕組みを
だからといって、「責任感のあるボランティアをもっと増やそう」とするだけでいいのでしょうか。
責任感が強い人ほど、「自分がやらなきゃ」と無理をしてしまいがちです。
困っている人や動物を目の前にすると、「今日はしんどいから休みます」と言えなくなってしまう。
すると、活動を支えている一部の人に、少しずつ、でも確実に負担が偏っていきます。
誰かの善意と頑張りだけで成り立っている活動は、世の中にたくさんあると思います。
その善意は、本当に尊く、ありがたいものです。
だからこそ、その方たちの善意に、活動を続ける責任まで全部背負わせてはいけない。
一人のボランティアとして保護猫に関わる中で、私はそう考えるようになりました。
「参加する人」と「続ける仕組み」は分けて考える
ボランティアには、自由に関われる余白を残したい。でも、活動はきちんと続けなければならない。
一見すると矛盾しているようですが、この二つは分けて考えればいいのかもしれません。
一人ひとりのボランティアは、「今できることを、できる範囲で」関わる。
そして、活動そのものが継続するためには、特定の誰かの頑張りだけに頼らない「仕組み」があること。
いろいろな人が少しずつ関われるようにすることも、その仕組みの一つです。
毎週来られる人だけを求めるのではなく、 月に一度ならできる人。
イベントなら参加できる人。
自宅でできることなら手伝える人。
そんないろいろな「できる」をパズルのように組み合わせる。
そうすれば、関わる側も無理をせず、その活動と長く、心地よくつながっていけるのではないでしょうか。
ボランティアは、自分の暮らしも豊かにしてくれる
私は、保護猫の預かりボランティアを始めたとき、猫たちのために「何かをしてあげている」つもりでした。
でも実際には、私自身がたくさんのものをもらっています。
猫との暮らしに癒やされ、それまで知らなかった保護猫活動の世界を知りました。
そして、仕事とはまったく関係のない方たちとも出会えました。
そこでは、私が普段どんな仕事をしているかなんて関係ありません。
ただ「猫が好き」という一つの共通点でつながっています。
大人になってから、職場でも家族でもない場所に、新しいつながりができることは、思っていた以上に楽しく、嬉しいことでした。
だから私は、ボランティアを「誰かのために自分を犠牲にするもの」とは思っていません。
誰かの役に立ちながら、自分も楽しい。
知らなかった世界に出会う。
新しい人とつながる。
結果として、自分の暮らしもちょっと豊かになる。
そんな関わり方で、いいのだと思います。
無理なく関われるから、社会との接点が増えていく
「ボランティアをするなら、責任を持って長く続けてほしい」 活動を運営している方々の立場になれば、そう願う気持ちも痛いほどわかります。
でも、最初から大きな責任を求めてしまうと、「そこまではできないな」と、関わること自体をあきらめてしまう人もいるかもしれません。
それよりも、 一日だけでもいい。月に一度でもいい。できることだけでもいい。
そんな「小さな入り口」がたくさんあった方が、より多くの人が社会と関わることができます。
そして、その中から「もう少しやってみたい」「また来ようかな」と思う人も自然と出てくるはずです。
ボランティアは、できる人が、できるときに、できることをする。
その自由さを大切にしながら、一方で、活動を続ける責任を誰か一人の善意に背負わせない。
最近、ボランティアについて考える中で、この二つをセットで考えることが、とても大切なのではないかと思うようになりました。
私自身も、これから先ずっと今のペースでボランティアを続けられるかはわかりません。
でも、自分の生活に余白があるときには、できる形で関わっていたい。
そして、新しくボランティアを始めようとする人に出会ったときには、同じボランティアの立場として「できる範囲でいいんだよ」と、そっと背中を押せるような存在でありたい。
そんなふうに思っています。
第3話では、「人手を増やす」から「福祉と社会の接点を増やす」へ、という視点について書いてみたいと思います。
どうぞお楽しみに。


