Follow us

「わかってない」と責める前に。映画『平行と垂直』から考えた、福祉と社会のあいだ

2026.09.03
出典:「平行と垂直」公式サイト https://www.toei-video.co.jp/heikoutosuichoku/

こんにちは アンドナの野村です。

先日、映画『平行と垂直』を観た感想をブログに書きました。
そのとき一番心に残ったのは、主人公の大貴と職場の同僚のおじさんや、商店街の人たちとの自然な関係性でした。

でも、映画を観てから今日まで、まだいろいろなことを考え続けています。
今回は、この作品から考えた「福祉と社会のあいだ」のお話です。

「リアルかどうか」だけで終わるのは、少しもったいない

障がいを題材にした映画やドラマがつくられると、
「実際はこんなものじゃない」「現場はもっと大変」「描き方がリアルではない」という声が出ることがあります。

もちろん、現実とかけ離れすぎていたり、障がいのある人を「かわいそうな人」として描いたり、単なる感動の材料にしてしまったりする作品には、私も少し違和感を覚えます。
でも、大きく違う方向を向いていないのであれば、まずは「何のために、この作品をつくったのだろう」と考えてみたいなと思うのです。

映画を一本つくるには、とてつもないエネルギーと費用がかかります。
映画は福祉啓発のボランティアではなく、ひとつの作品として成立させ、多くの人に観てもらう必要があります。

そんな中で、安田章大さんが企画から関わり、自ら大貴を演じ、のんさんが妹の希を演じる。
多くの人が名前を知る方々が、障がいのある人を物語の中心に置き、全国の映画館で上映される作品にした。
私は、そのこと自体が本当に大きなことだと感じています。

はじめは福祉に興味がなくてもいいんです。
「安田さんが好きだから」「のんさんが出ているから」「映画として面白そうだから」。
そんな理由で映画館へ足を運んだ人が、スクリーンで大貴と出会う。
障がいについて学ぼうと思っていなかった人の心にも、障がいのある人の暮らしがふっと届く。

これは、福祉の世界だけではなかなかできないことです。
だから私は、このテーマを選び、映画として世の中に届けてくれたことが素直にうれしいし、ありがたいなと思っています。

ちょっとずれた「障害者理解」

映画の中に、大貴の職場の上司が出てきます。

この上司の「障害者理解」は、正直に言うとかなりずれています。
観ながら、「いやいや、そうじゃないんだけどな」と思う場面もありました。
でも私は、その上司を責める気持ちにはなれなかったんです。

少なくとも、その人は決して「無関心」ではありませんでした。
大貴のことを理解しようとしているし、配慮しようともしている。
ただ、「どう理解したらいいのか」その材料を持っていなかっただけなのではないか、と思ったのです。

人は誰でも、知らないことは自分が持っている知識や経験の中から想像するしかありません。
そこで少しピントがずれてしまったときに、「全然わかっていない」「そんなことも知らないの?」と言って終わらせてしまったら、その人は次にどうすればいいのでしょう。
「言わなくてもわかれよ」は、きっと社会では通じません。

そんなことを考えていたら、私が以前勤めていた福祉施設でのある出来事を思い出しました。

大人の利用者さんたちと行ったキャンプ

以前、生活介護施設の重度の障がいのある利用者さんたちと一緒にキャンプへ行ったことがあります。

生活介護は利用者さんの日中を支援するサービスです。
普段宿泊をしないので、利用者さんにとってもスタッフにとっても初めてに近い経験でした。
いろいろな課題を一つずつクリアしながら実現した、手作りのキャンプです。
キャンプ自体は、とても笑顔あふれる楽しい時間でした。

ただ一つだけ、今でも忘れられない出来事があります。

そのキャンプ場は子どもの団体なども多く受け入れていて、キャンプファイヤーのプログラムも用意されていました。
「準備はこちらでします。ぜひキャンプファイヤーをしませんか?」
そう温かく声をかけていただき、せっかくなのでお願いすることにしました。

ところが、始まってみて戸惑うことに。
歌もダンスも、完全に小学生向けのプログラムだったのです。
参加している利用者さんたちは、重度の障がいがあるけれど20代の大人です。
障がいが重いことと、子ども扱いすることは別の話です。

始まってすぐ、「ああ、これは違ったな」と思いました。
たぶん、その場にいたスタッフも同じ気持ちだったはずです。
でも、誰も何も言えませんでした。

楽しませようと一生懸命なキャンプ場の方の姿を見ると、「これは違います」と言うのはあまりにも申し訳ない。
その場の楽しい雰囲気を壊したくない。
結局、みんな心の中に違和感を抱えながら、そのキャンプファイヤーに参加しました。

誰も悪くない。でも、すれ違いは起きる

施設に戻ってからも、私の心はずっとモヤモヤしていました。

私は、いろいろなスタッフと個別に話し合いました。
するとスタッフから「そもそも障がいのことを、わかっていないから仕方ないよ」という声がありました。
でも私は、その意見にも少しモヤモヤしてしまったのです。

キャンプ場の人たちは、決して悪くありません。
参加する人たちに喜んでもらおうと、一生懸命考えてくださったのだと思います。

では、どうしてすれ違ってしまったのか。

私たちは事前に「障がいのある大人の人たちが行きます」ということはお伝えしていました。
でも、どんな年代の人たちなのか。どんなことがわかるのか。どんなことを楽しんでいるのか。
そこまでは詳しく伝えていませんでした。

もし、「20代の大人です。障がいは重いですが、大人として普通に音楽を楽しんでいます」と事前に伝えていたら、違うプログラムを考えてくださったかもしれません。
でも、知らない人は、知っている材料の中から想像するしかありません。
そのための材料を、私たちは十分に手渡していなかったのです。

そして何より胸が痛んだのは、スタッフが気まずい思いをしたことではありません。
そこに参加していた利用者さんの気持ちです。
いろいろなことを理解できる人なら、「なんで自分たちは、こんな子ども向けの歌を歌わされているんだろう」と悲しく思ったかもしれません。
その人たちにそんな思いをさせてしまったことが、私は一番申し訳なく思ったのです。

だから、その後スタッフに私の気持ちを話しました。
次からは、同じことが起きないようにしたい。
相手がわかっていないことを責めたり諦めるのではなく、わかるために必要なことを、こちらからきちんと伝えていこう、と。

映画に登場する大貴の上司を見ながら、私はあの日のキャンプファイヤーを思い出していました。

福祉の人たちは、ずっと目の前を支えてきた

ここまで書くと、「福祉側が社会にきちんと伝えてこなかったのが悪い」と言っているように聞こえてしまうかもしれません。
でも、私はまったくそうは思っていません。

福祉の現場にいる人たちは、毎日、目の前の利用者さんと真剣に向き合っています。
食事介助、トイレやお風呂の介助、体調を見守り、その日の活動を考え、ご家族とも対話をする。
その人たちが目の前の利用者さんをサポートし続けたからこそ、障がいのある人たちと、そのご家族の日々の暮らしが守られてきました。

みんなが遠くばかりを見ていたら、きっと続かなかったことです。
その日々の積み重ねがあるからこそ、今の福祉があります。

だから私は、「福祉の人はもっと外を見なければならない」と批判したいのではありません。
目の前の人をしっかり支える人がいる。
だからこそ、その積み重ねを社会へと手渡していく役割の人が、これからはもっと必要なのではないかと思っています。

福祉には、社会みんなで考えられることがたくさんある

私は福祉に出会ってから、本当にいろいろなことを考えるようになりました。

それまでにもいくつかの仕事をしてきましたが、その仕事について、その周りにある社会について、こんなにも「ああでもない、こうでもない」と深く考えたことはありませんでした。
これは、福祉のとても面白いところだと思っています。

福祉は、一見すると「自分には関係ない世界」と思われがちです。
でも、本当は私たちの暮らしのすべてにつながっています。

家族のこと。働くこと。地域で暮らすこと。
誰かに助けてもらうこと。誰かを助けること。
自分とは違う人と、どう一緒に生きていくのか。

福祉を入口にすると、社会のいろいろなことを考えることができるのです。
そして、私のような専門家ではない人間も、「ああでもない」「こうでもない」と一緒に考えることができます。
私は、そこが福祉の持つ大きな力だと思っています。

福祉には、社会みんなで考えられる問いがたくさんある。
だからこそ、福祉の中だけにとどめておくのは本当にもったいないのです。

もっと社会に持ち出して、いろいろな人と一緒に考えていく。
それが、福祉を社会に活かすということの一つなのではないかと思っています。

「わかっていない人」ではなく、「これからわかっていく人」

大貴の上司も、完璧ではありませんでした。
キャンプ場の人たちの思いも、私たちが思い描いていたこととは少しずれていました。
映画だって、福祉の専門家が見れば「ここは現実とは少し違う」と感じる部分があるかもしれません。
でも、大きく違う方向へ進んでいないのであれば、私はまず、相手が福祉に関わろうとしてくれたことそのものを大切にしたいと思っています。

もちろん、間違いを指摘しないというわけではありません。
少しずれているなら、「違います」と突き放すのではなく、「ここは、こうなんですよ」とそっと材料を手渡せばいい。

「わかっていない人」として見るのではなく、「これからわかっていく人」として関わっていく。
そのほうが、きっと次の関わりにつながります。

福祉の世界だけでは、きっとここまで来られなかった。
でも、福祉がこれまで地道に積み重ねてきたものがなければ、間違いなくここまで来られなかった。
だから、福祉の外から関わろうとしてくれる人が現れたとき、間違いを探す人ではなく、「関わってくれてありがとう。じゃあ、次は一緒に考えませんか」と笑顔で言える人でいたいと思います。

映画『平行と垂直』を観て、そんなことまで考えを巡らせてしまいました。
やっぱり福祉って、奥深くて面白い。

「かわいそう」の、その先へ。映画『平行と垂直』を観て感じた希望

映画『平行と垂直』を観て、私が感じたのは「希望」でした。障がいのある人や家族の大変さを伝えるのではなく、知らないことで、どこでボタンが掛け違っていくのかを描いた...

一覧ページはこちらから